茶道 宗偏吉田流

6月1日
いしとものお稽古している、 【茶道宗偏吉田流】では、
毎年この時期に【両祖忌追善のお献茶とお茶会】が開かれる。
【両祖忌追善】の両祖というのは、
吉田のお殿様だった小笠原公と、流祖の山田宗偏のお二人のこと。
山田宗偏はね、江戸時代前期のお茶人。
宗偏流茶道を興した茶人として茶道界でも高名だけど、
一般には元禄赤穂事件(忠臣蔵事件)の際に
大高源五に吉良邸茶会の日を教えた人物として有名♪
詳しく知りたい方は、こちらを見てね♪
明暦元年(1655) 当時、三河国吉田藩(現在の豊橋)
を治めていた小笠原公が、
その頃都会で流行っていた【華やかなお茶】を疑問視して、
侘び茶をベースにした茶道の指南役として、
千宗旦を当地に招いたのだけど…。
宗旦氏は高齢のため来られないっちゅうことで、
代わりに宗旦の推挙をえた愛弟子の宗偏が、
100石格で吉田のお殿様にお仕えするようになった。
ちゅうところから、お話が始まります。
宗偏は、43年間(29歳〜72歳まで)も吉田にとどまって
お茶の指導と活動をしたので、後世に残る有名な弟子達と、
数多くの遺品、茶室、庭などを吉田に残したんだって。
なので、豊橋では宗偏流のお稽古をしている人が多いのだ〜。
そして、千宗旦が亡くなると、宗偏は茶統をついで
【不審庵四世】となります。
あ、一世は千利休です。
こんな説明でわかるかな? ははは。
ま、難しい話はこのくらいにして〜。
そのお二人の追善のお献茶と大茶会が、
この日、かくも盛大に行われました。 のさ。

会場の臨済寺は、吉田のお殿様 小笠原公の菩提寺。

毎年この日は門戸が開かれ、お殿様の墓前まで参内できるんだよ。

広大な敷地の中には茶筌供養のための塚もある〜♪ るるる〜♪
んで、この臨済寺にはお茶席が7つ!! もある。びっくり!
今日は、お濃茶席が二席、薄茶席が二席。


本堂裏の流祖お手植えの竹やぶの中では、野点で薄茶席。


差し入る光にも風情があっていいねぇ。


こちらは、本堂お二階の【円窓の間】での薄茶席。
ま〜るい窓が見えるでしょ。だから円窓の間。

と廊下。 ここもいい感じでしょ?
でも、冬はめちゃめちゃ寒いんだよ〜!


二階から見たお庭。
この屋根の下がこれから行くお茶室【豊徳庵】だよ。

いしともは今回、ここがお当番のお席。
写真は草履取り係りの時に撮ったもの。
仕事しないで写真撮影とは、完全にみんなの言うブロガー? ははは。


受付を通られた方は、まず寄り付き(別室)でお菓子をいただきます。

んで、お菓子をいただいたらこの【待合】で呼ばれるまで待つのだけど、
この日は人数が多いので、そのまま寄り付きでお待ちいただきます。



お席の準備ができたら、つくばいで手と口を清めて
にじり口からお席入りです。

このにじり口は千利休が考案した入り口。
お茶室には誰でも頭を低くしないと入れません。
刀なども携帯していると入れません。
茶室の中には浮世の地位やしがらみなどを
持ち込んではいけないのです。
でも、マジここ狭いです!
通ったことがある方はご存知だと思うけど、
入るのはいいんだけど、出るのが至難の業なんだよね。ははは。
狭すぎて、脱いだ草履を片つけるのも一苦労なので、
【草履取り】というお草履を片付ける係りがサポートいたします。

あ、でもこのお席には、にじり口の横に
普通サイズの出口があります。 親切〜♪

これはお茶室の中。
掛け物も花入れも文化財級の名品です。
この日は特別な日だったので大盤振る舞い!
お床には流祖宗偏の手作りの花入れと、直筆の掛け物。
お茶杓と蓋置も宗偏の手作りです!
うう〜ん、こんな貴重品には滅多にお目にかかれないですぅ〜。
そんなこんなで、お茶会も終了し、
無事にお片づけも済み…。
大事なお道具もあるべきところに収まり…。
一番ホッとしていたのは…。
たぶん先生。
粗野な弟子が、粗相をして大事なお道具を壊したりはしないかと
きっと1日中ヒヤヒヤしていたことでしょう。 ははは。



お庭の所々にこんな、石に黒い縄紐をつけて置いてある所があるよ。
これは、ここから先は入ってはダメっていうお約束の印。
どこかで見かけたら、気をつけてね♪
あ、トップの写真はもちろん いしともの着物姿!
誰?? 馬子にも衣装とか、詐欺だとかって言ってるのぉ〜!!































